スペクトルフローサイトメトリーの科学的概要
スペクトルフローサイトメトリーとは
スペクトルフローサイトメトリーは従来のフローサイトメトリー(コンベンショナルフローサイトメトリー)をさらに発展させた分析技術で、蛍光色素の蛍光波形全体を捉えることが可能です。コンベンショナルフローサイトメトリーではダイクロイックミラーと個別のバンドパスフィルタを使用して特定の波長を測定しますが、スペクトルフローサイトメトリーでは各蛍光色素の全波長領域の波形情報を収集します1 (Figure 1)。そのため、一般的に1つの蛍光色素に対して1つの検出器が使用される従来のバンドパス方式とは異なり、蛍光色素の数よりも多くの検出器が必要になります。その結果、スペクトルフローサイトメトリーはより多くのパラメータを同時に、かつ正確に同定することが可能となり、実験デザインやデータ解釈の柔軟性と正確性が向上します。
Figure 1. コンベンショナルフローサイトメトリーとスペクトルフローサイトメトリーの主な違いの概要図: (A) 各検出器が各々の蛍光色素の蛍光波長領域を測定する、コンベンショナルフローサイトメーターのバンドパス方式の一般的な光学系レイアウト、 (B) スペクトルフローサイトメーターでは複数の検出器を使用し、複数のレーザーで励起された蛍光色素の全蛍光波長を波形情報として取得。アプローチの違いを見やすくすることを優先した図のため、一部正確性を欠く表現があります。
スペクトルフローサイトメトリーを使用する理由は?
細胞解析で必要となるパラメータ数の増加
- 免疫システムの複雑性-免疫システムを包括的に調べるためには、より多くのマーカーでのハイパラメーター(高次元)解析が必要となります。スペクトルフローサイトメトリーでは、一部の蛍光波長領域が重なっている蛍光色素同士でも識別できるため、使用カラー数を増やすことでハイパラメーター解析を可能とします。複数のマーカーを同時に検出することで、免疫細胞のサブセット、それらの有する機能や相互作用についての精緻な理解が進みます。例えば、OMIP-102のような研究では、1チューブ最大50カラーを使って、ヒト末梢血から得た細胞のイムノフェノタイピングを行います2。
- 疾患の理解-例えば、腫瘍学などの分野では、腫瘍細胞や免疫微小環境内の細胞を複数のマーカーで同時にプロファイリングすることは、疾患の複雑さを解明するのに役立ちます。スペクトルフローサイトメトリーは、より多くのマーカーでのプロファイリングを同時に行うことができます3。その結果、腫瘍の不均一性や免疫回避メカニズムを明らかとし、新たな治療標的の特定へとつながる可能性があります。
自家蛍光の除去
- 細胞内物質による自家蛍光の影響は、フローサイトメトリーの大きな課題の1つです。スペクトルフローサイトメトリーでは自家蛍光を減算処理することができるため、蛍光色素の蛍光強度が弱かったとしても認識しやすくなります4。
蛍光特性が類似している色素の分離
- スペクトルフローサイトメトリーの大きな利点は、最大蛍光波長が類似でもオフピークの波形が異なる蛍光色素を分離できることです。このため、これまでよりもはるかに多くの種類の蛍光色素が1度の測定で使え、各細胞でより多くのパラメータを同時に解析できます。例えば、APCとAlexa Fluor 647のピーク蛍光波長はほぼ同じですが、オフピーク蛍光波長は 異なります。スペクトルフローサイトメトリーでは、このように個々に異なる波形をシグネチャー(P7で詳しく説明)として扱うことで、色素間の蛍光の干渉を考慮の上でこの両色素を同一のパネルに使用できるため、解析の精度と汎用性が向上します(Figure 2)。
Figure 2. IR領域では重なりの大きい2つの蛍光色素(APCとAlexa Fluor 647)の蛍光プロファイル。(A) 赤レーザーのみでの励起の場合、APCと Alexa Fluor 647の蛍光スペクトルはほとんどが重なっている。(B)両色素のスペクトルシグネチャー。励起レーザーごとに波長の短いものから並べたもの。APC (青)とAlexa Fluor (赤)はそれぞれ独自の波形を有しており違いがあるため、スペクトルフローサイトメトリーであれば測定時同時に使用できることが分かる。
スペクトルフローサイトメトリーの使用方法:ステップ・バイ・ステップガイド
Figure 3. スペクトルフローサイトメトリー実験に必要なステップ一覧
サンプル調製、測定、データ解析については原則コンベンショナルと同様ですが、スペクトルフローサイトメトリーでは考慮すべき項目がいくつか加わります。
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実験計画とパネル設計:考慮すべきこととコンベンショナルフローサイトメトリーとの相違点
装置について
コンベンショナルフローサイトメーターには、一般的に最大6~7本のレーザーと20~25個の検出器が搭載されており、多くのルーチンアプリケーションに適してはいるものの、多数の蛍光色素を検出するような複雑なサンプル解析には限界があります。対照的に、スペクトルフローサイトメーターでは可視光領域にまたがる蛍光を、短い波長範囲の検出器を多く並べて各々検出し、その全てを検出波長順に並べることでほぼ完全な蛍光色素の波形=スペクトルを得ることができます。これにより、各“蛍光色素が持つ固有の波形=スペクトルシグネチャー”が得られ、複雑なサンプルでも、より包括的かつ詳細な解析が容易に行えます。
蛍光染色された細胞は複数の励起レーザー光によって励起され、放出された蛍光は検出器モジュール(機器メーカーによって光電子増倍管(PMT)またはアバランシェフォトダイオード(APD))に送られます。PMTは幅広い波長にわたって高感度ですが、APDは特に遠赤色領域において高い量子効率を有しています5。価値のある結果を得るためには、レーザー出力、アライメント、標準ビーズによる検出器とゲインのキャリブレーション、感度と直線性のバリデーション、デイリーチェック、データ取得時の適切な設定といった装置の設定を、全て適切に行うことが重要です。コンベンショナルフローサイトメトリーで一般的に使用されている抗体キャプチャビーズは、スペクトルフローサイトメトリーでも同様に使用されます。
サンプルの理解
パネル設計には、サンプルの生物学的背景を完全に把握して、実験を注意深く最適化する必要があります。これには、サンプル調製、抗体タイトレーション、ブロッキング、コントロールの設定、染色プロトコルの検証、測定の設定の最適化が含まれます。スペクトルフローサイトメトリーのワークフローも、コンベンショナルのワークフローと同様、解析する細胞のポピュレーションとマーカーの特定から始まります。フローサイトメトリーでは、細胞生存率の高いシングルセルの懸濁液を得られるよう、サンプルを適切に処理することが重要です。サンプルの種類、細胞濃度、染色量は、使用する装置に合わせて調整する必要があります。ベースライン設定とゲーティングを正確に行うには、最適抗体濃度とコントロール(未染色、単染色、Fluorescence Minus One [FMO] コントロールなど)が必要です。
パネルデザインで考慮すべき点
研究の目的、実験に最適な蛍光色素パネルを設計します。スペクトルフローサイトメトリーのパネル設計では、蛍光色素同士のスペクトルのオーバーラップとアンミキシングを考慮して、正しい組み合わせを選択することです。スペクトルの重なりに大きな制限を受けるコンベンショナルフローサイトメトリーとは異なり、スペクトルフローサイトメトリーではアンミキシングが可能なことから蛍光色素を柔軟に選択できます。そのため一般的に、スペクトルフローサイトメトリーはコンベンショナルフローサイトメトリーのものよりも、組み合わせることができるパネルが大きくなります。FluoroFinder、FlowJo、FCS Expressなどの様々なツールは、多くのマーカー・蛍光色素との組み合わせを検討し、パネルを最適化するのに役に立ちます。一般的に、パネル設計にあたっては、以下を考慮することが重要です6,7。
- 各蛍光色素のフルスペクトルの蛍光プロファイルとオーバーラップの可能性。スペクトルフローサイトメトリーでは類似した蛍光色素でも蛍光シグナルとして分離できますが、最良の分離を得るためには、蛍光スペクトル(波形)の違いがなるべく大きくなるように構成することです。これを実現するには、スペクトルフローサイトメーターとその機器で取得される蛍光色素のフルスペクトル(波形)を元に、オーバーラップが最小になるように考慮して蛍光色素を選択することが必要です。機器によって取得されるスペクトルシグネチャーが異なるため、蛍光色素の選択には、スペクトルリファレンスガイド(装置による)を参照することが重要です。
- パネルに組み込まれているマーカーの発現レベル。高発現のマーカーは、FITC、Pacific Orangeなどの弱い蛍光色素で標識し、他のマーカーの邪魔となったりスプレッディングエラー(SE)とならないようにします。逆に、低発現マーカーは、APC、PE、BV421などの明るい蛍光色素と組み合わせて検出力を高めます。多くの細胞で発現しているマーカーはスピルオーバーの最も少ない検出器に割り当て、限定的な細胞でのみ発現しているマーカーはスピルオーバーの最も多い検出器に割り当てると良いでしょう。さらに、細胞上で共発現するマーカー同士では、スペクトルの重なりが大きい蛍光色素同士の使用は避けるべきです。
- 各抗体が標的抗原に特異的に結合することを確認したうえで、選択した蛍光色素への結合が検証されている抗体を選択します。
- タンデム色素を使用する場合、なるべく最新の色素を採用し、光や化学的に誘発される劣化から保護されなければなりません。
- ステインインデックス(SI)は、バックグラウンドノイズから特定の蛍光色素シグナルの分解能を評価する指標です。スペクトルフローサイトメトリーパネルを設計する際には、蛍光色素の分解能がより優れ、SEをできるだけ減らせるよう十分に考慮する必要があります。
- データ品質に影響を与える可能性のある死細胞を除去するため、パネルに細胞生死判定用染色素を追加することが重要です。
- まずシンプルなパネルを選択し、ユニークなスペクトルシグネチャーを持つ蛍光色素を追加して徐々に複雑なパネルを構築していくとよいでしょう。
- 自家蛍光の高い細胞ポピュレーションを正確に把握することはパネルの最適化に重要です。これは、自家蛍光の高い細胞は未染色でも固有のスペクトルシグネチャーを持つ内因性の蛍光体が複数含まれている可能性があり、そのようなポピュレーションから発せられる不均一な自家蛍光が結果へ影響する可能性があるためです。全てのチャネルから自家蛍光を除去することが不可能である場合、自家蛍光レベルが極めて高い細胞をチャネルとして割り当てることができます。
- 最後に、抗体タイトレーションを実施して各抗体の最適濃度を決定します。これで最適化されたスペクトルフローサイトメーターでの測定を開始できます。
分解能とスピルオーバーの違いがパネルパフォーマンスとデータの解釈に与える影響はとても大きいため、蛍光色素の選択は重要な作業です。SEは検出器の陰性ポピュレーションと陽性ポピュレーションを正確に区別することを困難にします。このSEの程度は蛍光色素間の組み合わせおよび検出器間の組み合わせで異なってくるため、効果的なパネル設計によってSEの影響を抑えることができます。シグナルの検出と分解能においてSEの影響を最小限に抑え、正確で信頼性の高い測定をするためには、熟慮された最適化が必要です。
スペクトルサイトメトリーパネルでは、機器によって得られる2つのスペクトルシグネチャーの類似度を機械的に計算し評価するための指標としてSimilarity indexを用いることができます。蛍光色素からの蛍光と自家蛍光由来の蛍光の類似性や、類似した自家蛍光を持つ2つの細胞ポピュレーションを、0から1のスケール(0:類似性なし、1: スペクトルが完全に重なる)で分析することができ、より多くの情報に基づいて、蛍光色素を正しく選択することができます。FluoroFinderのようなリソースを使えば、様々な励起波長での蛍光体の蛍光スペクトルを見ることも可能で、実験で一緒に使用する蛍光色素間の類似性を理解するためのSimilarity indexを容易に構築してくれます。
例えば、スペクトルパネルの例(Figure 4)では、FITCとBrilliant Blue 515のSimilarity indexは0.99で、スペクトルはほぼ完全に重なっています。興味深いことに、APCとAlexa Fluor 647のスペクトルオーバーラップは0.86で、これら2つの蛍光色素はコンベンショナルフローサイトメトリーでは一緒に使用することはできませんが、スペクトルフローサイトメトリーではこの2つの蛍光色素はスペクトルシグネチャーによって区別できることがわかります。さらに、Complexity indexと呼ばれる別の指数は、設計されたパネルの全体的な識別の難易度に焦点を当てたもので、パネルを組む際の複数の注意点が考慮されています。Complexityを評価する目的は、パネルの有効性(実現可能性)と、パネルが効率的にSEを最小限に抑えることができるかを確認することです。Complexity indexが低~中程度のパネルは実現可能であることを示し、高い場合はパネルが複雑すぎるため、少し簡素にすることを検討しても良いかもしれません。
Figure 4. スペクトルフローサイトメトリー実験で15蛍光色素を使用した場合の各色素のスペクトルシグネチャー(A)とSimilarity matrix (B)。Similarity indexが高いほど、スペクトルシグネチャーの重なりが大きく、同一パネルで一緒に使用する場合は注意が必要であることを示す。値が小さいほど、スペクトルシグネチャーの類似性は低い(出典:https://fluorofinder.com/)。
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サンプル調製と適切なコントロール選択の重要性
サンプル調製
スペクトルフローサイトメトリーのサンプル調製では、パラメータ数がより少なく、コンペンセーション要件がより単純なコンベンショナルフローサイトメトリーとは異なり、スペクトルの重なりを最小限に抑え、マルチパラメトリック解析を最適化するよう注意が必要です。適切な抗凝固剤の選択、細胞固定、染色および洗浄が重要なステップになります。これらの手順を最適化することで、一貫性を向上させ、バックグラウンドノイズと自家蛍光を減少させることができます。
サンプルの採集方法、細胞の分離調製法、保存状態など細胞の状態に影響する工程も、高品質なシングルセル懸濁液を調製し、良好な実験結果を得るために重要です。高い細胞生存率、細胞表面マーカーの保持、低いデブリスレベル(洗浄ステップを複数回実行することで可能)は、高品質なデータに重要です。
赤血球やデブリスを効果的に除去するには、「溶血なし/洗浄なし」、「溶血あり/洗浄なし」、「溶血あり/洗浄あり」のどの手順が最適かを検討します。過剰な溶血を避けてサンプルの完全性を維持するために、溶血バッファーは慎重に選択します。溶血後は、十分にマーカーを検出できるだけの染色の品質を確保するため、細胞内染色の固定化処理や透過処理を最適化します9,10。
リファレンスコントロール
スペクトルフローサイトメトリーでは、正確なアンミキシングのためにコントロールが重要です。各色素固有のスペクトルシグネチャーを捕捉するためには各蛍光色素の単染色コントロールが必要です。加えて、バックグラウンドノイズからシグナルを区別して、正確な結果を得るためには、未染色のコントロールと自家蛍光コントロールが必要です。スペクトル実験で使用されるコントロールは次のとおりです。
- 単染色コントロール:アンミキシングエラーと偽陽性を避けるため、コントロールはマルチカラーサンプルのスペクトルシグネチャーと一致していなければなりません。蛍光色素のスペクトルシグネチャーを最も正確に同定するコントロールは、細胞とビーズ両方でテストする必要があります。
- 未染色コントロール:未染色の細胞コントロールは、細胞の自家蛍光を測定する上でも重要であり、これは細胞の種類や生理的条件によって異なります。未染色の細胞コントロールは前方散乱光および側方散乱光のゲーティングパラメータの設定にも役立ちます。実験条件が一致している未染色細胞コントロールの使用は、アンミキシングで自家蛍光を他のスペクトルシグネチャーから分離するのに役立ち、感度を高め、弱陽性の細胞集団の検出を向上させます。
- 生死判定コントロール:生死判定コントロールは実験での生細胞と死細胞を区別します。データ品質に影響を与える可能性のある死細胞を見分け、結果の解釈の正確性を向上させます。
- スペクトルフローサイトメトリーで初めてアッセイをセットアップする際には、Fluorescence Minus One (FMO)コントロールの使用を推奨します。研究に必要な場合には、アイソタイプコントロールも使用します9。
- 単染色コントロール:アンミキシングエラーと偽陽性を避けるため、コントロールはマルチカラーサンプルのスペクトルシグネチャーと一致していなければなりません。蛍光色素のスペクトルシグネチャーを最も正確に同定するコントロールは、細胞とビーズ両方でテストする必要があります。
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データの取得と処理
フローサイトメーターは、蛍光分子から放出されたフォトンの入射量を測定します。スペクトルフローサイトメトリーは、可視光の全波長範囲にわたる蛍光を記録することによって、個々の細胞の全蛍光スペクトルとして定量します。検出後は、電子的に収集、増幅され、電子信号をデジタル化します。その後、マルチカラーデータは細分化されたチャネルに分割され、各チャネルにおける各蛍光色素の成分比が解析されます。さらに、データ処理も重要で、スペクトルフローサイトメトリーとコンベンショナルフローサイトメトリーのデータ処理では、異なっているパラメータがいくつかあります。
スペクトルシグネチャーとは?
それぞれの蛍光色素は、固有のスペクトルシグネチャーを示します。これは、蛍光色素から放出された光がスペクトル全体にどのように分布しているかを表す詳細な「指紋」です。スペクトルシグネチャーはX軸上に各検出器チャネル、Y軸にシグナル強度として、光の密度分布をプロットすることで得られます。蛍光の密度分布は、赤(高密度)から青(低密度)までの色のグラデーションで表されます。これにより、蛍光スペクトルが重なっている場合でも、各蛍光色素が最も強く蛍光を発する特定の波長領域を描きだすことで蛍光色素を区別することができます。2つ以上の蛍光色素のスペクトルを比較する時には、シグネチャーをノーマライズして全体の形状を比較します。
Figure 6. 6レーザー、88検出器を搭載するスペクトル検出モジュールCytoFLEX mosaicを接続したフローサイトメーターで取得されたPE色素のスペクトルシグネチャー。
データ処理-アンミキシングvs.コンペンセーション
スペクトルフローサイトメトリーとコンベンショナルフローサイトメトリーの大きな違いの1つは、各蛍光色素からの寄与を類似したシグナルから分離する方法です(Figure 6)。コンベンショナルフローサイトメーターでは近接する蛍光色素との重複スペクトル部分を補正(コンペンセーション)することで各蛍光色素分を分離する一方、スペクトルフローサイトメーターでは、各色素からの蛍光が混ざり合ったスペクトルから、デコンボリューションで各々を分離(アンミキシング)します9。
Figure 7. コンベンショナルフローサイトメトリーで使用されるコンペンセーションとスペクトルフローサイトメトリーで使用されるアンミキシングの違いの概念図。(A)左のグラフは、重なり合う部分のある2つの蛍光シグナルスペクトル(異なる蛍光色素の例)。コンペンセーション後、オーバーラップしているシグナル(青の検出器領域)は、漏れ込みによる干渉を減算することによって調整される。(B)左のグラフはスペクトルフローサイトメーターで取得されたデータ。アンミキシングの工程では蛍光色素よりも多くの検出器を使用してシグナルをデコンボリューションし、それぞれの蛍光色素のスペクトルを個別に分離している。
マルチカラーフローサイトメトリーデータの解析においてコンペンセーションとアンミキシングは、オーバーラップしているスペクトルから各々蛍光色素に由来する異なる蛍光シグナルを補正や分離する重要な工程で、一般的に専用のソフトウエアによって自動で実行されます。適切に実行すると、正確なデータと正しいマーカーの同定を確実にします。コンペンセーションはスピルオーバーマトリックスを、スペクトルアンミキシングはリファレンススペクトルを計算に用います。アンミキシングでは、各蛍光色素の蛍光スペクトルはスペクトルライブラリに記録されます。染色されたサンプルを測定する場合、使用した全ての蛍光色素からの蛍光の合計がトータルの蛍光として取得されます。このトータルシグナルへの各蛍光色素の正確な成分比率を求めるには、通常の最小二乗法や重み付き最小二乗法のようなスペクトルアンミキシングアルゴリズムを使用します10, 11。様々なアンミキシングアルゴリズムについての詳細はアプリケーションノート「スペクトルフローサイトメトリーにおけるアンミキシングアルゴリズムの重要な役割」をご参照ください。
自家蛍光の除去
自家蛍光は、固有の波長の光で励起された場合に細胞から自然に生じる蛍光で、フローサイトメトリー測定ではバックグラウンドノイズの原因となる可能性があります12 。コンベンショナルフローサイトメーターでは、自家蛍光と重ならないチャネルを使用するようにするか、細胞より明るい蛍光色素を使用することで、自家蛍光の干渉を最小限に抑えます。自家蛍光が強く、細胞からの弱いシグナルに干渉して解析が難しい場合には、スペクトルフローサイトメトリーを用いた自家蛍光の除去を検討ください。スペクトルフローサイトメトリーでは自家蛍光をスペクトルシグネチャーとして取得し、他の蛍光色素とアンミキシングによって分離することができます。このため分解能が高くなり、弱陽性の細胞ポピュレーションや希少細胞ポピュレーションの解析に有用です。スペクトルフローサイトメトリーを使用した自家蛍光サンプルの取り扱いに関する詳細は、アプリケーションノート「隠されたシグナルの検出:スペクトルフローサイトメトリー解析における自家蛍光の克服」をご参照ください。
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データの解析と解釈
スペクトルフローサイトメトリーでは、ますます増加する数のマーカーを同時にシングルセルレベルで測定することが可能で、高次元のデータが生成されます。従来の2次元マニュアルゲーティングでは、パラメータを追加するたびにプロット数が指数関数的に増加するため、全てを漏れなく検討することは困難となります。
アルゴリズムによる解析手法は、複雑なデータをバイアスなく探索するアプローチを可能とし、未知の細胞ポピュレーションの発見や、様々なポピュレーション群の一貫性ある比較に有用です。近年、大規模データセットの可視化にt-SNE(t-distributed stochastic neighbor embedding)やh-SNE (hierarchical stochastic neighbor embedding)などの次元削減アルゴリズムが用いられるようになってきています。t-SNEやUMAP (Uniform Manifold Approximation and Projection)のような技術は、フェノタイプが類似した(マーカーの発現パターンの類似している)細胞を2次元マップ上に近い位置に配置することで次元削減を実現します。これにより、類似する細胞によってクラスターが形成され、サブポピュレーションなどを認めることができます。
t-SNEはローカル(局所)構造の維持に特に有効であり、フローサイトメトリーデータのクラスターの可視化に有用です。一方、UMAPではローカル構造とグローバル(全体)構造の両方が維持されるため、データの包括的な関係性をより反映した分布を提供します。さらに、UMAPはt-SNEより高速かつ拡張性が高く、大規模なデータセットにも適しています。どちらも、複雑なデータセットの隠れたパターンや発見を引き出すことのできる、探索的なデータ解析に重要な手法です。
SPADE(Spanning-tree Progression Analysis of Density-Normalized Events) やFlowSOM (Self-Organizing Map)のような教師なしクラスタリングアルゴリズムを用いれば、複雑なデータセットをさらに高度に解釈することができます。SPADEは、類似した細胞をクラスター化して階層的ツリー構造として出力するため、不均一なサンプルを多次元解析するのに有用です。様々な細胞ポピュレーションとそれらの関係性を表示するため、細胞の階層構造やパスウェイを包括的に可視化します。一方、FlowSOMは類似性に基づいて細胞をグリッドにまとめて整理することで、細胞サブセットを同定したり比較したりすることが容易になります。
SPADEとFlowSOMは強力なクラスタリングツールですが、パラメータを入念に調整し、結果を慎重に解釈する必要があります。これらのツールの一部はCytobankなどのフローサイトメトリー解析ソフトウエアで利用できます13。CITRUS(Cluster Identification, Characterization, and Regression)も面白いツールです。CITRUSは群間の統計的有意差を自動的に同定・予測するための解析パッケージで、比較研究(健常状態と疾患状態で異なる免疫細胞サブセットの同定など)の強力なツールです。
Figure 8. スペクトルフローサイトメトリーによる高次元データの一般的なデータ解析ワークフロー。データの取得・収集、前処理、クリーンアップ、次元削減、クラスタリング、アノテーションと検証、統計解析、図表化、解釈が含まれる。
どのツールにも長所と課題があり、多くの場合、特定の目的用に設計されています。解析ツールの理解は、どのツールがご自身の研究課題に適したものかを選択するのに役立ちます。マニュアルゲーティング解析では現在も、基礎的な仮説の検証や、発見の検証、データ品質の評価に有用です。一方、機械学習解析は、従来の方法だけでは困難であった、複雑なフローサイトメトリーデータから導かれる免疫システムおよび生物学的複雑性の、より深いレベルでの理解を推進することができます12,13。
コンベンショナルフローサイトメトリーとスペクトルフローサイトメトリーの利点
コンベンショナルフローサイトメーターはスペクトルサイトメーターよりもセットアップが簡単なため、それほど複雑でないパネルの解析には、こちらの方が適しています。その汎用性と洗練性は、豊富なこれまでのデータと標準化されたプロトコルによるもので、多くのアプリケーションにとって信頼できる選択です。対照的に、スペクトルフローサイトメトリーは、特に複雑なマルチカラーパネルの解析において、コンベンショナルフローサイトメーターよりも高い分解能と精度を提供します。この高度な技術は、近接する蛍光色素の分離や自家蛍光の扱いに優れており、ハイパラメータ解析に非常に有効です。
おわりに
スペクトルフローサイトメトリーはこれまでよりも多数のマーカーで同時測定でき、細胞の詳細な解析が可能です。蛍光色素の蛍光スペクトルを全て検出することで、細胞特性をより詳細かつ正確に評価することができます。スペクトルフローサイトメトリーの原理、利点、方法論を習得し、これをフルに活用することで、複雑な生物学的機構や疾患の理解を推進することができます。
参考文献
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