スペクトルフローサイトメトリーにおけるアンミキシングアルゴリズムの重要な役割

はじめに

スペクトルフローサイトメトリーは、従来の(コンベンショナル)フローサイトメトリーを大幅に上回る性能とパラメータ数を提供します。コンベンショナルフローサイトメトリーでは、蛍光色素ごとにその色素の蛍光スペクトルの特徴的な一部分のみをひとつの検出器で取得しますが、スペクトルフローサイトメトリーは細胞上の全蛍光色素のフルスペクトルを複数の検出器を使用して取得します。そのため、蛍光色素の区別には、コンベンショナルで行われる蛍光補正(コンペンセーション)よりも複雑な方法が必要になります。これは、数チャネルからの分離でなく、複数の蛍光色素が積み重なった可視光領域の蛍光スペクトル全体から、各々の色素の蛍光プロファイルを分離しなければならないためです。スペクトルフローサイトメトリーにおいて、検出器アレイ全体の蛍光スペクトルをデコンボリューションするプロセスは、スペクトルアンミキシングまたは単にアンミキシングと呼ばれます。アンミキシングには、単染色コントロールとノイズ除去のための数学的アルゴリズムが必要です。本稿では、コンペンセーションとアンミキシングの基本概念と両者の違いについて説明するとともに、現在使用されているアンミキシングアルゴリズムについて述べます。

コンペンセーションとスペクトルアンミキシングの違い:
フローサイトメトリーにおけるそれぞれの役割

コンベンショナルフローサイトメトリーでは、各蛍光色素について1つの特定の検出器を割り当て、通常、その色素の蛍光スペクトルのピーク領域をバンドパスフィルタで区切り、通過した光量を測定します。蛍光色素はレーザーで励起されるとそれぞれが異なる波長の蛍光を発するため、ある蛍光色素の蛍光の一部が他の蛍光色素の検出チャネルと重なり合うことがあります。これが蛍光の漏れ込み、スペクトルスピルオーバーです。様々な細胞成分(表面マーカーなど)を複数の蛍光色素で標識すると、1つの検出器が複数の色素由来の蛍光を拾ってしまうことがあるため、スペクトルスピルオーバーが課題となります。これに対処するために、コンペンセーションと呼ばれる数学的ツールを用いて、蛍光色素ごとに割り当てられた特定の検出器(プライマリーディテクター)以外の全ての検出器に漏れ込んでしまっている蛍光シグナル分を除きます (Figure 1) 。コンペンセーションでは、単染色のコンペンセーションコントロールを用いてスピルオーバーを計算したコンペンセーションマトリックスで補正します。単染色コントロールは、各蛍光色素がどのくらい他の検出器に漏れ込んでいるかの定量に不可欠です。このコンペンセーションマトリックスを実験データに適用して、重なり合う蛍光を差し引き、各蛍光色素を分離します。

コンベンショナルフローサイトメトリーでのコンペンセーション

Figure 1. コンベンショナルフローサイトメトリーでのコンペンセーション:コンベンショナルフローサイトメトリーでは、各検出器はバンドパスフィルタを使用して特定の蛍光色素のピーク蛍光を測定。他の蛍光色素からのスピルオーバーは、コンペンセーションマトリックスで補正。

*ピーク蛍光

スペクトルフローサイトメトリーにおけるアンミキシング

Figure 2. スペクトルフローサイトメトリーにおけるアンミキシング:スペクトルフローサイトメーター では、検出器アレイで、全ての蛍光色素のフルスペクトルシグネチャーを取得。全ての色素が重なり合ったひとつの波形が得られ、その後、これをアンミキシングアルゴリズムで各々の蛍光色素シグネチャーに分離。

コンベンショナルフローサイトメトリーと異なり、スペクトルフローサイトメトリーでは複数の検出器を用いて、搭載している全てのレーザーによって得られる蛍光色素の蛍光フルスペクトルを取得します。このレーザーごとに得られた詳細な蛍光フルスペクトル群をスペクトルシグネチャーと呼びます。そのため、コンベンショナルフローサイトメトリーより多くの蛍光色素(蛍光スペクトルが重複しているものでも)を使用することができ、細胞ポピュレーションのより複雑で詳細な解析が可能になります。

特定の波長チャネルを対象とする、コンベンショナルフローサイトメトリーで用いられる従来のコンペンセーション法では、スペクトルフローサイトメトリーで捕捉した詳細なスペクトルを十分に補正することができません。つまり、複雑なマルチカラー実験で正確な解析を可能とするためにスペクトルアンミキシングが採用されています (Figure 2)。

スペクトルアンミキシングでは、各蛍光色素固有のスペクトル特性に基づいてデコンボリューションします。従来のコンペンセーションと数学的には同一ではありませんが、単染色したサンプルまたは非染色サンプルを予め測定して純粋なスペクトルとして用い、重なり合うスペクトルから各々を分離するため、全体的な原理は同じです。つまり、単染色コントロールに基づくスペクトルシグネチャーを参照として実験サンプルのシグネチャーからその蛍光色素を同定するため、確実な単染色コントロールはアンミキシングには非常に重要です。このアプローチでは、蛍光特性は類似していてもスペクトルシグネチャーが異なる蛍光色素は区別が可能なため、これらの色素は同じパネル内で一緒に使用することができます。

アンミキシングアルゴリズムは、一般的に、通常の最小二乗法や重み付け最小二乗法などの統計的手法を用いています。どのようなスペクトルアンミキシングアルゴリズムが使用できるかを議論するには、このようなアルゴリズムの数学的原理の概要を理解していることが重要です。より詳細に知りたい場合は、参考文献をご参照ください。

アンミキシングの数学

コンベンショナルフローサイトメトリーのコンペンセーションモデルは、蛍光色素の数と検出器の数が一致するフルランク行列です。検出器の数と蛍光色素の数が一致しているこのようなスクエアマトリックスでは、蛍光色素の存在量は一次方程式で計算できます。

      「r」 はある細胞について検出したRawデータ値
      「Mavg は、各検出器で計算された平均スペクトルシグネチャーマトリックス
      「a」 はその細胞上の各蛍光色素の真の存在量です。「a」は、 M avg とサンプル内の各細胞(M)から実際に発せられる 各蛍光色素との差分
      「e」 は未知のノイズマトリックス
      「M avg -1(コンペンセーションマトリックスとも呼ばれる)はスクエアマトリックスであるため、逆行列を持ちます。

スペクトルフローサイトメーターは蛍光色素の数よりも多くの数の検出器を使用するため過剰決定系となり、Mavgのマトリックスは、蛍光色素を列・検出器を行と配した場合、蛍光色素数と検出器数が同数でないため、検出器の方が長い(数が多い)長方形マトリックスとなります。このため逆行列を持つことはできません。ほとんどのアンミキシングアルゴリズムは、以下の数式を使ってデータを「分離(アンミックス)」し、各蛍光色素分子のおおよその存在量を算出します。

      「M avg T は MAvgの転置行列(逆行列を持つことができないため)

ほとんどのアンミキシングアルゴリズムは、「 r= M avga+e」を満たす近似 (a) を求めることを目的としています。

算出した存在量に対するノイズの影響

フローサイトメーターの測定には、主要なノイズ源が2つ存在します。ユーザーにとって最もなじみがあるのは電子機器や迷光などから生じる機器ノイズです。現代の市販のフローサイトメーターでは、微小粒子や弱陽性粒子を測定する場合を除き、このノイズ源はほとんどの実験で無視できる程度になるよう設計されています。もう1つのノイズ源は、サンプル中の個々の細胞からの実際の蛍光(M)とアンミキシングの計算で使用される平均蛍光(Mavg)の間のばらつきです。光子の放出はポアソン分布に従うため、各細胞のMは常に異なり、Mavgと一致することはあり得ません。細胞へのレーザーの露光が短時間だと光子の放出は低くなり、個々の蛍光色素の蛍光プロファイルが平均から著しく逸脱することがあります。アンミキシングデータで散見されるスプレッドの主な原因になっているのが、このタイプのノイズです。

さまざまなスペクトルフローサイトメーターで使用されるアンミキシングアルゴリズム

スペクトルアンミキシングアルゴリズムは、重なり合う蛍光色素を正確に分離して定量し、単一サンプル内の複数のマーカーを正確に同定して解析するために重要です。以下に、様々なスペクトルアンミキシングのアルゴリズムを紹介します。

  1. 最小二乗法(Least-square method :LSM)を用いたスペクトルアンミキシング
        • 各蛍光色素量 (a) の推定に用いられる、最もシンプルで一般的な方法です。
        • 観察データと実験データとの間の誤差やノイズの二乗の和が最小になるようにし、データに最も近似した関数とします。
        • LSMでは、誤差やノイズが等分散性を持つ、つまりノイズの平均は常にゼロで、ノイズ分散はシグナル強度に関係なく各検出器で同じであると仮定しています。
        • しかし現実では、シグナル強度の高い検出器では小さい検出器よりもノイズは多く発生しています。したがって、大規模な細胞ポピュレーションにおいて、シグナルが弱くて存在量の少ない蛍光色素は狭い分布を持ち、低下したばらつきとなります。この不一致はポピュレーションの歪み(スプレッディング)を引き起こす懸念があります。
  2. 重み付け最小二乗(Weighted least-square : WLSM)アルゴリズムによるスペクトルアンミキシング
        • 通常のLSMを発展させたもので、特定のエラーやノイズに他よりも重要性(「重み」)を与えています。
        • WLSM回帰では、誤差項(加算的な種類の誤差)の分散に基づいて観測に重みを付けるため、分散不均一性のデータをより正確にモデリングできます。
        • 重みは誤差の分散に反比例します。存在量を推定する際、分散性が低いか信頼性が高いデータポイントには、より大きな重みが与えられます。
        • WLSM回帰では、重みの大きいデータポイントはフィッティングされた直線に強い影響を与えます。これにより、特に様々なばらつきのあるデータでの正確性が向上します。
        • Note : 市販のWLSMアルゴリズムでは、ユーザーが手動で重みを入力したり、ソフトウエアにアルゴリズムを何度も反復実行させ、シグナルのスプレッディングを最小化する設定を検討させたりすることができます。WLSMの繰り返しでスプレッディングが減少した結果を得られる可能性はありますが、このプロセスはかなり時間がかかるため、ライブでのアンミキシングには適さないことに注意が必要です。この反復法はポアソン法の速度と同程度です。
  3. ポアソンアルゴリズムによるスペクトルアンミキシング
        • ポアソン分布は、あるイベントが一定の発生率で起こるという前提で、そのイベントが一定期間内に離散発生する確率をモデル化したものです。
        • このアンミキシングアプローチは、シグナルとノイズについてポアソンの法則を考慮に入れています。蛍光色素は光子をランダムな時間間隔で放出しています。その検出器に到達する光子の分布をポアソン分布で近似します。
        • このアルゴリズムは誤差やノイズが不均一性分散であることを前提としています。
        • ポアソン分布では、期待値(平均と一致する場合もある)と分散は同じ値となり、平均イベント数とそのばらつきは同じパラメータで定義されます。
        • このアルゴリズムはシグナル出力の物理的な原理をより正確に反映しているため、真のシグナルとバックグラウンドノイズとを区別するのに役立ち、シグナル対ノイズ比が低い場合に特に有用です。
  4. ポアソンハイブリッド

    ポアソン回帰は、何百万ものイベントのアンミキシングに使用するには時間がかかりすぎます。そのため、ポアソンとLSMを組み合わせることによってパフォーマンスの向上が図られました。このハイブリッド法では、LSMの結果を初期の推定パラメータとして用い、その後に反復再重み付け最小二乗法(iterative weighted least square: IRLS)による回帰を行います。このアプローチはシグナルとノイズがポアソン分布に従うことを前提としており、処理効率と正確性が向上しています。そのため、ポアソンハイブリッドではLSMよりも良い結果が得られ、計算に要する時間も許容範囲内となります。

使用可能なアンミキシングアルゴリズムの概要

使用可能なアンミキシングアルゴリズムの概要 

おわりに

スペクトルフローサイトメトリーでは、多数の蛍光色素を使用して、1回の測定で多くの細胞の特徴を解析することが可能です。コンベンショナルで用いられていたコンペンセーションの方法とは異なり、異なる蛍光色素のシグナルを分離する数学的手法にスペクトルアンミキシングを採用し、これによるアンミキシングマトリクスで細胞上の各蛍光色素の存在量を推定します。結果の正確性はアルゴリズムが測定対象の物理的な原理をどれだけ反映しているかに依存することから、正確な結果を得るためには、優れたリファレンスコントロールと、ソフトウエアが使用するアンミキシングアルゴリズムを理解しておくことが重要です。

参考文献

  • Novo D. A comparison of spectral unmixing to conventional compensation for the calculation of fluorochrome abundances from flow cytometric data. Cytometry. 2022;101(11):885–91.
  • Novo D, Grégori G, et al. Generalized unmixing model for multispectral flow cytometry utilizing nonsquare compensation matrices. Cytometry Part A, 2013 83(5): 508–520.
  • Sharma S, Boyer J, et al. A practitioner's view of spectral flow cytometry. Nature Methods. 2024 May; 21(5) 740-743.
  • Xian-guang Fan, Yu-liang Zhi, et al. An effective spectral unmixing algorithm for flow cytometry based on GA and least squares. Spectrochimica Acta Part A: Molecular and Biomolecular Spectroscopy, 2022, 264:120254.

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