がん抑制遺伝子p53の標的遺伝子PHLDA3の機能解析進展とAMPure XPによるDNAクリーンアッププロセスへの貢献
国立研究開発法人 国立がん研究センター研究所 |
がん抑制遺伝子p53とその下流因子について精力的な研究を進められている、国立がん研究センター研究所の大木理恵子先生にお話を伺いました。p53の下流に位置するがん抑制遺伝子PHLDA3について、先生が明らかにされたがん抑制についての役割、さらに現在解析を進められているがん組織中のPHLDA3遺伝子変異解析でのDNAクリーンアッププロセスの重要性についても、詳細にご紹介をいただきました。
インタビュアー: 小野寺 純 [ベックマン・コールター]
がん抑制遺伝子p53とその標的因子探索
がん抑制遺伝子p53の研究を、長年にわたり行っています。p53はがんにかかわる最も重要な遺伝子といっても過言ではなく、半数のがんはp53が変異していることが知られています。細胞に与えられたストレスに応じて、p53は細胞をがん化させないように様々な制御をしますが、あまりに強いストレスの場合にはアポトーシスにより細胞を死滅させるように指令し、がん化リスクをもとから断つように働きます。p53欠損マウスは非常にがんができやすく、半年以内に75%が死んでしまうといえば、その重要性が分かると思います。p53は転写因子であり、受けたストレスの強さに応じて様々な遺伝子の転写を活性化し、細胞周期を止めて過剰な増殖を防いだり、場合によってはアポトーシスのトリガーとなったりもします。技術進展により、マイクロアレイによる遺伝子発現解析や、p53タンパク質と結合しているDNAの解析といった網羅的解析が可能となり、p53によって制御される235の遺伝子を見つけることができました。なにしろ有名なp53ですので同様な解析を行う研究者は世界中に多数いる状況の中で、私たちはその時点では機能未知だった遺伝子群に着目し、その機能解析にチャレンジしたことにより、p53のがん抑制に関する研究で世界をリードすることができました。
新たに発見したがん抑制遺伝子PHLDA3
p53 標的遺伝子の網羅的探索で見つかった機能未知遺伝子のひとつであるPHLDA3について紹介します。p53はがん「抑制」遺伝子としましたが、反対にがん化を「促進」する「がん遺伝子」も多数存在しています。常にがん抑制遺伝子が優勢に働いていればよいわけではなく、過剰ながん抑制は細胞増殖を止め過ぎたりアポトーシスを誘導させ過ぎたりして人体にとって有害な場合もあります。つまり、がん遺伝子とがん抑制遺伝子の働きが適度に拮抗している状態が細胞にとって健全な状態といえるでしょう。私達は、p53によって発現誘導されるPHLDA3タンパク質が、がん遺伝子Akt が作ったタンパク質のがん促進機能を阻害することで、がん化シグナルを制御していることを明らかにしました。またp53 の変異があるときにはPHLDA3が発現せず、Aktを抑えきれなくなり細胞ががん化することから、PHLDA3ががん抑制的に働くことを実証しました(Figure 1; 参考文献 1)。さらに、がんの半数はp53に変異があると先ほど述べましたが、p53に変異のないもう半数のがんの中には、PHLDA3 機能が失われているがん種もあることがわかってきました。
Figure 1. | p53はPHLDA3を作ることで、がん遺伝子Aktを抑制する。 |
PHLDA3がなくなるとAktを抑制できなくなり、細胞はがん化する。 |
この発見は、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズが命を落とした膵臓がんに鍵がありました。インスリンなどのホルモンを分泌する膵臓のランゲルハンス島ががん化するときには、そこではPHLDA3 遺伝子は機能しておらず、Akt が優勢となってしまい、そのような患者さんの予後はよくありませんでした(Figure 1)。また、PHLDA3欠損マウスを作製すると、がん化には至らぬもののランゲルハンス島の異常増殖が観察されました。PHLDA3機能が失われることとがん化促進の関係は、膵臓だけではなく、肺、大腸といった内分泌組織にも見られ、普遍性があることが分かってきています(参考文献 2)。これらの結果から、私たちはPHLDA3が様々な内分泌組織由来のがんのがん抑制遺伝子であると考えています。
さらなる研究の進展とDNAクリーンアップ
現在は、下垂体、甲状腺、大腸などでがん化した内分泌組織からゲノムDNAを抽出して、PHLDA3 の遺伝子領域のPCR 産物のDNAシーケンシングにより、PHLDA3遺伝子配列の変異について詳細に調べています。組織サンプルは医師の先生から提供いただきますが、その形態は様々です。組織を切り取った後にDNAを安定化する試薬に漬け込んで提供される場合は、良好なDNAを抽出することができますが、切り取った組織をホルマリン固定パラフィン包埋(FFPE)して安定化したものは、ホルムアルデヒドの影響である程度のDNA 断片化は避けられません。さらに厄介なのは、FFPE組織をさらにマイクロダイセクション(顕微鏡で組織切片を観察しながら標的とする細胞塊を切り出し・採取する)する時のように、サンプルが非常に少ない場合です
FFPE組織切片からマイクロダイセクションで切り出したサンプルを、キシレンで脱パラフィンして細胞溶解や脱クロスリンクなどを行ったのちに、フェノール/クロロホルム法でDNAを抽出していたのですが、肝心のPCRでうまく増幅しないという問題が生じました。PCRサイクル数を増やしていけば、増幅バンドが出てはくるのですが、ネガティブコントロールにも同じバンドが出てしまい、これではPHLDA3変異解析を進めることができません(Figure 2A)。そこで、ベックマン・コールターの磁性ビーズ式DNAクリーンアップ試薬キットであるAgencourt AMPure XPでこのサンプルの追加精製を行ったところ、ネガティブコントロールではみられない特異的な増幅バンドを得ることに成功しました(Figure 2B)。AMPure XPは、100 bp以下の短いDNA断片や塩類を効率的に除去できるそうですので、フェノール/クロロホルム法で抽出したDNAには短いDNA断片や低分子化合物が多く混入しており、これらがPCRを阻害した可能性があります。
Figure 2. | AMPure XP精製による、ネガティブコントロールには出ない特異的な増幅バンドの検出 |
N:ネガティブコントロール、S:サンプル、M:サイズマーカー |
サンガーシーケンシング解析と磁性ビーズ精製
増幅に成功したPCR断片をサンガー法でDNAシーケンシングを行い、PHLDA3の変異検出を試みました。PCR増幅産物をサンプルとしてサンガーシーケンシング反応を行う前には、一般的にプライマーや未反応のdNTPを除去するために精製を行う必要があります。従前はシリカカラム式の精製キットを用いていましたが、シーケンシング結果の波形データでバックグラウンドの波形(Figure3A 矢印部分)が見られることがありました。単純に配列を解析するには支障はないのですが、一部の細胞でのみ見られる変異(低頻度変異)の可能性を排除する必要があるので、このバックグラウンドの有無はデータ解釈の上で非常にクリティカルになってきます。そこでシリカカラム式キットの代わりに、さきほども使用した磁性ビーズ式キットのAMPure XPで精製を行ってからシーケンシングを行ったところ、バックグラウンドをきれいに抑えることができました(Figure 3B 矢印部分)。シリカカラム式キットでは除去しきれなかったプライマーや短いDNA断片が、AMPure XPでは除去できている可能性があります。
Figure 3. PCR増幅産物のAMPure XP精製による、シーケンシング波形バックグラウンドの減少
サンガーシーケンス反応後にも、プライマーや未反応の蛍光色素(ddNTP)を除去するために、Agencourt CleanSEQでシーケンサーに入れる前の最後の精製を行っています。こうしてみると実験系は、磁性ビーズによる精製ばかりです。ベックマン・コールターの磁性ビーズ式製品では、FFPE 組織からの核酸抽出キットFormaPure XLシリーズもありますので、FFPE組織からシーケンスまで、磁性ビーズ式のDNA抽出精製で作業フローを標準化することもできそうです。
p53研究へのご参加をお待ちしています
p53というがん抑制遺伝子は、おそらくは誰もが認めるがん研究における最重要遺伝子の一つです。それだけに多くの研究者により研究が行われ、既に機能の多くは解明されてしまっていると感じるかもしれませんが、まだまだ未解明な機能は多いという確信のもとに研究を進めています。さらに、がんの治療・診断といった応用面でも今後は重要な標的になると考えています。細胞表面に局在するレセプターやトランスポーターとは違い、転写因子であり核内に局在するp53は、薬剤の標的にするのは難しいと考えられてきました。近年では核内因子に対する阻害剤の開発も進展しており、p53は基礎および応用研究の両面で益々重要性を増していくことは間違いありません。若い方には、もう分かりきった遺伝子などとは思わず、まだまだ面白くかつ重要な因子としてこの分野に興味を持ち、できれば研究に参加してくれればと心から願っています。
最新のp53 研究を知るためのよい機会としては、2021 年9月に私の主催にて、第10回 国際MDM2ワークショップが行われます。冠されるMDM2はp53 の機能を抑制する有名ながん遺伝子ですが、p53に関する発表も多く、トップレベルのp53研究者が世界中から150名以上集まります。基礎面、応用面で最新の知見が発表されますので、日本のがん研究者、特に若い方々の積極的なご参加をお待ちしています。
参考文献
- Kawase T, Ohki R, Shibata T, Tsutsumi S, Kamimura N, Inazawa J, Ohta T, Ichikawa H, Aburatani H, Tashiro F, Taya Y (2009) PH domain-only protein PHLDA3 is a p53-regulated repressor of Akt. Cell 136:535-50.
- Ohki R, Saito K, Chen Y, Kawase T, Hiraoka N, Saigawa R, Minegishi M, Aita Y, Yanai G, Shimizu H, Yachida S, Sakata N, Doi R, Kosuge T, Shimada K, Tycko B, Tsukada T, Kanai Y, Sumi S, Namiki H, Taya Y, Shibata T, Nakagama H (2014) PHLDA3 is a novel tumor suppressor of pancreatic neuroendocrine tumors. PNAS 111:E2404-13.<
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