遺伝子治療ベクターの品質評価における最新事情
東京大学 医科学研究所
遺伝子・細胞治療センター 分子遺伝医学分野
センター長・教授
岡田 尚巳 先生
東京大学 医科学研究所
遺伝子・細胞治療センター 分子遺伝医学分野
特任研究員
平井 幸彦 先生
ヒトの遺伝子治療において、アデノ随伴ウイルス(Adeno Associated Virus : AAV)を利用した遺伝子治療ベクターは、非常に有望な新しいタイプのバイオ医薬品である。一方、高品質で安全性の高い遺伝子治療ベクターを製造・管理するためには、高度な技術開発が必要なだけでなく、ガイドラインの策定や国際的ハーモナイゼーションに則した品質の評価が求められる。
今回、遺伝子・細胞治療の研究やガイドライン策定に尽力されている東京大学医科学研究所の岡田 尚巳 先生と平井 幸彦 先生に、遺伝子治療ベクターの品質管理における課題、ガイドラインの最新事情と品質評価における超遠心分析技術(Analytical UltraCentrifugation : AUC)の有用性についてお話を伺った。
先生のご研究について
岡田先生 私は1991年に金沢大学医学部を卒業し、脳神経外科医として臨床経験を積んだ後、NIH(米国国立衛生研究所)、国立精神・神経医療研究センター、日本医科大学などで、遺伝子治療基盤技術の開発に取り組んできました。その後、2019年に東京大学医科学研究所に移り、神経・筋疾患の病態解析やバイオマーカー解析、遺伝子・細胞治療の研究に取り組んでいます。
近年、がんや根本的な治療法が無い遺伝性疾患に対する治療薬としてウイルスベクターを用いた遺伝子治療が注目されています。AAVベクターは、最も有望な遺伝子治療ベクターであり、既に欧米では神経筋疾患、代謝異常症や網膜疾患の治療薬として承認されています。当研究室では、これまで高純度かつ高規格のAAVベクターの開発を行うとともに、遺伝子・細胞治療に関する国際的な規制動向を鑑み、独自の変異体、ホスト細胞株、発現培養法、精製法やベクター投与方法などを提案してきました。日本でも遺伝子治療用製品としてウイルスベクターを用いた企業治験が計画されていますが、遺伝子治療用製品の品質評価や法整備などに関して残された課題も多く、こうした課題解決に向けた研究や取り組みを続けています。
遺伝子治療ベクター製造並びに品質評価プラットフォーム
技術開発の重要性
遺伝子治療ベクターの製造工程および分析法開発に関する懸念事項
岡田先生 遺伝子治療用製品としてのAAVベクターは、原料であるAAVの血清型、プラスミド並びにホスト細胞の種類、培養スケール並びに培養条件、精製条件の違いによって、AAVベクターの感染特性や発現量、キャプシド内に混入する物質(ホスト細胞由来のタンパク質や核酸断片やプラスミド由来の核酸断片)や製剤中に混入する夾雑物質が異なることがこれまでの研究で分かっています。
製造工程で使用するAAVの血清型やウイルスのパッケージングで使用されるホスト細胞の選択は重要であると考えています。AAVの血清型の違いにより、分泌型と非分泌型の生産量の比率が異なり、その結果、培養上清中の発現量に差がみられるという報告があるからです。例えば、2型は非分泌型です。分泌された場合でもホスト細胞の受容体に結合し再度細胞内に取り込まれ、培養上清中の発現量が少なくなります。一方、8型や9型は分泌型であり、ホスト細胞内に人為的に発現用プラスミドを大量に導入して分泌を促すような培養方法を用いて製造した場合には、一部に糖鎖修飾を受けたAAVを培養上清中に分泌させることができます。また、血清型の違いにより標的細胞への感受性も異なります。このことから、AAVの血清型の選択は発現量と感染特異性に大きく影響を及ぼします。さらに、ホスト細胞については、米国食品医薬局(FDA)からホスト細胞由来の癌原性物質や免疫原性物質のキャプシド内への持ち込みの程度について、従来のガイダンスよりも詳細に調査し報告するように注意喚起がありました。一般的にHEK 293T細胞並びにHEK 293細胞がホスト細胞として使用されます。このHEK 293T細胞は、免疫原性や癌原性が認められるSV40由来のT抗原遺伝子並びにアデノウイルス由来のドラスティックに変化することができる虹彩細胞の神経細胞への分化とそのメカニズムを明らかにするために、まず虹彩細胞を培養することから研究を始めました。この虹彩細胞は培養するのが非常に難しい細胞で、培養する条件を見つけるのに2年ほどかかりました。現在では、大学の倫理委員会の承認を受け500名以上の患者様が手術の際に切除・破棄される虹彩の細胞を培養し、ストックしています。E1遺伝子をゲノム中にもち、ウイルスベクター製造中にこれが共に発現します。またHEK 293細胞はゲノム中にT抗原遺伝子を持ちませんが、E1遺伝子を持ちます。したがって、これらの免疫原性や癌原性の物質がキャプシド内に持ち込まれないようにするために、最近ではホスト細胞の品種改良などの研究も盛んに進んでいます。
平井先生 製造工程における培養スケール並びに培養条件、精製条件の違いは、パッケージングで内包される物質の違いやウイルスの発現量の差やウイルス表面タンパク質の翻訳後修飾の違いに影響があります。AAVは本来プラス鎖の1本鎖DNAをゲノムとして持ちますが、パッケージング過程でキャプシド内にホスト細胞や発現プラスミド由来の核酸断片が入ることがあります。このようにキャプシド内にゲノムとそれ以外の核酸断片が混在したAAVベクターは、密度や荷電が異なりますが感染能力は同じです。しかし、この核酸断片がゲノムに結合すると、治療用遺伝子を患部の細胞に送り込むことができず、AAVベクターの薬効が下がる原因となります。このため、現在の製造法上、キャプシド内への持ち込み物質に対するFDAからの注意喚起もあり、製造したAAVベクターの特性解析として、Full particles、Intermediate particles(中間体)、Empty particles、凝集体の定量的な分析だけでなく、これらのキャプシド内に含まれる持ち込み物質やウイルスparticle表面に提示された糖鎖構造まで詳細な分析が求められます。
遺伝子治療ベクターの実用化に向けた課題
岡田先生 遺伝子治療ベクターの実用化には、大規模製造・精製技術の確立とともに、抗体医薬や遺伝子組換え生ワクチンなどのバイオロジクスにおけるPAT(process analytical technology)の考え方を取り入れ、製造ロットの均一性や安全性を担保する必要があります。
遺伝子治療用製品は、原料であるウイルスの血清型、プラスミド並びにホスト細胞、培養スケールおよび培養条件、精製条件の違いによって、キャプシド内に混入する物質(ホスト細胞やプラスミド由来のタンパク質や核酸断片)や精製中に混入する夾雑物質が異なることがこれまでの研究で分かっています。このような製造過程で生じる完全でない遺伝子治療ベクターである中間体は、薬効に悪影響を及ぼす可能性があるため、製造ロットの均一性や安全性を担保するためには、AAVベクターの品質に影響を及ぼす全工程に注意を払う必要があります。また、分析方法についても、キャプシド内に含まれるホスト細胞由来の物質や製剤中に混入する夾雑物質の分析がこれまで以上に重要になってきており、適正な評価をするためには補完関係のある複数の分析・評価技術の確立が必要となります。現状、遺伝子治療ベクターの製造方法や分析方法についてはまだ十分に確立されているとはいい難く、実際、欧米では治験に使用されているものも含めて、AAVベクターの品質にばらつきがあることが課題となっており(図2)、同一プラットフォームで品質を比較し評価できないことが課題の一つとなっています。
日本における課題解決に向けた取り組み
岡田先生 日本では遺伝子治療ベクターの製造並びに品質評価のためのプラットフォーム技術開発に携わる研究者や製造業者が限られており、国際的な競争力は不足しています。そこで、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)では、遺伝子治療の市場拡大に向けて、製造や品質評価、薬事規制の基盤技術の開発や確立を目指して、「遺伝子・細胞治療用ベクターのプラットフォーム製造技術開発」プロジェクトを発足させました。
本プロジェクトでは、次世代バイオ医薬品製造技術研究組合の遺伝子治療事業部を拠点として、参画企業やアカデミア、研究機関が知的財産を共有し、培養技術、濃縮精製技術など、遺伝子治療ベクターの製造・品質評価に必要な要素技術の開発、高度化を推進しています。
遺伝子治療ベクターの品質評価ガイドライン
FDAのガイダンスと国内で準拠する指針
岡田先生 FDAから遺伝子治療の品質管理プラットフォームに関するCMCガイダンス1)が発表されています。本ガイダンスでは、AAVベクターを利用した遺伝子治療薬の品質評価において、ウイルスゲノムを含む完全粒子(Full particles)とウイルスゲノムを含まない中空粒子(Empty particles)並びに凝集体の比率を評価すること、グリコシル化部位とそのパターンなどの生化学的特性を評価することなどが明記されています。日本では、厚生労働省から治験・品質に関する指針2)と臨床研究に関する指針3)の2つが発表されていますが、海外の基準に未だ準拠できていない部分も少なくありません。今後は、海外の規制動向を鑑み、日本でも遺伝子治療ベクターの品質評価、薬事承認・安全規制などに関して、国際的ハーモナイゼーションを推進することが重要です。そして、そのためには我々も日本の指針で世界に追い付いていないところがあれば、積極的に政策提言していく必要があると考えています。
独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)においては、キャプシド内に含まれる物質の詳細な分析結果の提出が求められる場合があります。つまり、ホスト細胞や発現プラスミド由来のDNA、RNA、タンパク質などを分析するように指示されます。製造方法に関しては、FDAの注意喚起や本年度実施予定のICH(医薬品規制調和国際会議)Q5Aガイドラインの改定に伴い、今まで以上に詳細な報告を要求されるようになります。また、製造したAAVベクターの特性解析については、均一性やロット間差の詳細な調査を要求されます。
これらのさまざまなガイダンスに従って遺伝子治療ベクターの品質評価を実施するためには、大量のサンプルを準備しなければなりません。例えば、日本薬局方の分析項目の一つに明記されているQC評価では、サンプルを大量に準備する必要があります。品質評価試験で大量にサンプルを使用すると、臨床研究に割り当てるサンプル量が少なくなるため、評価試験の運用にもさまざまな提案をしているところです。
品質評価のための分析法の種類と特長
岡田先生 遺伝子治療ベクターの品質評価では、FDAやICHのガイダンスに従い、最適な特性解析方法を選択していく必要があります。現在、電子顕微鏡、キャピラリー電気泳動法、カラムクロマトグラフィー法、サザンブロット法、光散乱法、分析用超遠心機などを用いて、物性および特性解析を行います。各分析法には、それぞれメリットとデメリットがあり(表1)、分解能、定量性、分析に必要なサンプル量などが異なります。
平井先生 電子顕微鏡観察法では、キャプシド内の内包物や凝集体の分析・評価は難しく、また定量性も十分ではありません。光散乱やサザンブロット法なども分解能は低いため、バイアスや再現性が課題となります。また、キャピラリー電気泳動は、比較的少量のサンプルで分析ができ、Empty particlesとFull particlesについて明確に見分けることができます。しかし、AAVの血清型やキャプシド内に混入する物質とその含有量が異なるとAAVベクターの荷電状態がごくわずかに変化しますが、キャピラリー電気泳動法の分離能の検出限界となるため、少なくともこの方法のみでは現時点で万能とは言えないでしょう。一方、AUCは吸光度と沈降係数を指標としているため、AAVの血清型やキャプシド内に混入する物質とその量が異なる場合でも定量的な解析ができていると言えます。また、サンプルを特別な溶媒置換などで前処理をすることなく分析できるため、凝集発生などのリスクもありません。現状では、AUCはキャピラリー電気泳動やイオン交換クロマトグラフィー法での検出限界を補完でき、定量的かつ包括的に評価できる唯一の技術だと考えています(図3)。また、FDAの抗体医薬品の品質評価と同様に、AAVベクターでも補完関係のある分析法で測定限界を補填しつつ、総合的な評価をすることが大切だと考えています。
遺伝子治療ベクター品質評価におけるAUCの有用性
岡田先生 AUCは、FDAのガイダンスでも評価項目として挙げられているFull particlesとEmpty particlesの比率や凝集体や中間体の比率など、定量性のある包括的な評価できる分析法であると
理解しています。当研究室では、薬効への悪影響が懸念される中間体の評価にAUCは欠かせません。
平井先生 AAVベクターの評価において、電子顕微鏡観察法ではキャプシド内のDNAの内包の有無のみで品質を評価していますが、これでは中間体の評価ができたことにはなりません。一方、AUC法では電子顕微鏡観察では確認できなかった中間体を定量的に検出することができました(図4:岡田先生の論文)。
岡田先生 米国で実施されたデュシェンヌ型筋ジストロフィーに対する遺伝子治療ベクターの治験では、混入物が原因で中止になった例もあります。遺伝子治療ベクターを全身に大量投与するには、これまで見逃されていたキャプシド内の内包物もきちんと評価することが重要です。その意味でAUCの高い分析能は評価できます。
今後の展望:新たな技術課題へのチャレンジ
岡田先生 最近、ウイルスベクターのキャプシド内の内包物に、ウイルスゲノムもしくはプラスミド由来の核酸断片やホスト細胞由来の核酸断片やタンパク質など、さまざまな物質が混ざっているような中間体が存在し、この中間体が薬効に影響があるのではないかと考えています。しかし、中間体に関してはこれまで定量的な分析など十分に評価されていないように思っています。現在、製造工程においてこのような中間体をどのようにすれば減らせるのかについて研究を進めています。また、ウイルスベクターの品質および安全性確保のために、中間体の評価についてAUCのデータを積極的に集めることも重要になると思います。
平井先生 AUCを用いることで、不良なAAVベクターである中間体の存在が明らかになりました。今後は定常的にFull particlesを製造可能な技術開発やFull particlesの高純度精製技術の開発が
必要と考えます。
最後にベックマン・コールターへ一言お願いします。
岡田先生 qPCR法やddPCRでは、実験の高い再現性が担保され、qPCRやddPCRの結果をより確実かつ明確に解釈することが可能となる定量的リアルタイムPCR実験の発表に必要な最低
限の情報MIQE(Minimum Information for Publication of Quantitative Real-Time PCR Experiments)ガイドラインが策定されています。本ガイドラインでは、再現性を高めるために装置
ごとに使用するプライマーやプローブなどが規定されています。AUCでも実験の再現性を担保するために、詳細な条件を既定したガイドラインを作成していただきたいです。また、この時に使用するウイルスの標準粒子もあると良いかと思います。あと、分析時に使用するサンプル容量が100 μL程度の低用量で使用可能なセンターピースもしくはディスポーサブルのセルアッセンブリもあれば、より利便性が高くなると思います。
平井先生 現時点でAAVベクターの品質を定量的かつ包括的に評価できる技術はAUCのみです。再現性を高めるためのガイドラインがあれば、AUCの汎用性はさらに高まり、普及すると思います。
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参考文献
1.Chemistry, Manufacturing, and Control (CMC)Information for Human Gene Therapy Investigational New Drug Applications(INDs): https://www.fda.gov/media/113760/download
2. 遺伝子治療用製品等の品質および安全性の確保について(令和元年7月9日 薬生機審発0709第2号):https://www.pmda.go.jp/files/000230508.pdf
3. 遺伝子治療等臨床研究に関する指針:https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/kenkyujigyou/i-kenkyu/index.html#h2_free1
4. Wang et al. (2019). Mol Ther Methods Clin Dev,15,257-263
5. Tomono et al. (2018). Mol Ther Methods Clin Dev,11,180-190
6. Tomono T et.al (2019). Hum Gene Ther Methods 30:137-143
施設紹介
東京大学 医科学研究所
遺伝子・細胞治療センター 分子遺伝医学分野
分子遺伝医学分野では、遺伝子および細胞治療の基盤技術の開発を中心に、分子病態解析、遺伝診療、遺伝子・細胞治療の高度化を
推進し、個別化ゲノム医療の包括的トランスレーショナルリサーチを目指しています。
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