過去の染色剤(1850~1953)

1850年代以前

 サフラン(レーウェンフックが筋肉細胞の染色に使用)などの天然染色剤のみが存在1947年の初期の光電カウンター

1880年代 - Paul Ehrlich

酸性染料および塩基性染料を用いて好酸球、好塩基球、好中球を特定 

1904年 - August Köhler

蛍光紫外線顕微鏡

1900年代初期 - PappenheimおよびUnna

メチルグリーンとピロニンを組み合わせて細胞核を緑、細胞質を赤に染色

1925年 - Robert Feulgen

動物細胞および植物細胞の双方の核にDNAが存在することを実証 - 色素(フクシン)をシッフ塩基に誘導しDNAを染色する化学量論的手順を開発

1934年 - Andrew Moldavan

血球が含まれる懸濁流体の活用法を実演 - 光電センサーを用いて毛管内で測定を行い、吸光測定を実施

原稿:Photo-Electric Technique for the Counting of Microscopical Cells. Andrew Moldavan Montreal, Canada Science 80:188-189, 1934

(1938~1998年) -トルビョルン・カスペルソン - 核酸を染色

1941年 -  「核酸は老廃物などではなく細胞内におけるタンパク質合成に欠かせないものであり(1941年1月にNaturwissenschaftenに発表)、この合成プロセスに積極的に関与していること」を実証初期のセルカウンターの写真

1950年 - 成長が盛んな細胞内においてDNAとRNAの両方が増加することを実証し、1950年の著名な原稿『Cell Growth and Cell Function(細胞増殖と細胞機能)』で、正常成長時および異常成長時の核酸とタンパク質の代謝を描写。これらの研究は、紫外線光用にカドミウムスパーク光源、信号検出用に原始的な電子回路を用いて実施されました。核酸の染色にはフォイルゲン染色が用いられました。

原稿:Torbjorn O. Caspersson, History of the Development of Cytophotometry from 1935 to the present in Analytical and Quantitative Cytology and Histology, pp2-6, 1987.

1941年 - Albert H. Coons、Hugh J. Creech、R. Norman Jones

蛍光抗体法を発明 - アントラセンを用いて抗肺炎球菌抗体に標識付けし、紫外線励起青色蛍光により組織に含まれる肺炎球菌および抗体の両方を検出

原稿:Immunological Properties of an Antibody Containing a Fluorescent Group. Albert H. Coons, Hugh J. Creech and R. Norman Jones - Department of Bacteriology and Immunology, Harvard Medical School, and the Chemical Laboratory, Harvard University Proc. Soc. Exp.Biol.Med. 47:200-202, 1941.

1950年 - CoonsおよびMelvin H. Kaplan

フルオレセインとイソシアン酸塩を結合 - 組織の自己蛍光よりはるかに優れた青緑色の蛍光シグナル。この手法では、ホスゲンガスを用いる非常に危険な調製手順が採用されていました。

細胞の臨床診断の歴史

1943年の画期的な原稿:Diagnosis of Uterine Cancer by the Vaginal Smear(膣スミアによる子宮癌の診断)。著者はGeorge N. Papanicolaou(解剖学者)およびHerbert F. Traut(婦人科医)。

パップ試験の成果

1941年PapanicolaouおよびTroutの報告によれば、米国における1年あたりの子宮癌による死亡者数は26,000名。初期の顕微蛍光スキャナー

1996年 米国における1年あたりの子宮癌による死亡者数は約4,900名であり、患者数は半世紀でおよそ2倍に増加しました。こうした死亡者の半数以上は、パップ試験を受けたことがない女性です。

パップ試験の改善

1951年、ニューヨーク州ミネオラのAirborne instrumentsが細胞分析器を発売。第二次世界大戦における技術が活用されていました。1980年代、コンピューター分析および自動細胞検査プロジェクトであるTICASとCYBEST  (先駆的なシステムでしたが、一般的な用途には不適と判明)。

1944年 - Oswald T. Avery

DNAが遺伝情報のキャリアであることを実証。

1947年 - Gucker

  • エアロゾルに含まれる最近を検出するためのフローサイトメーターを開発
  • 1947年に論文を発表(研究は第二次世界大戦中に実施されており、機密指定)
  • 細菌兵器に用いる空中浮遊細菌および胞子を迅速に特定することを目標としていました
  • 装置:暗視野照明チャンバーにろ過した空気のシース流を通過させる。光源はフォードのヘッドランプであり、光電子増倍管(PMT)検出器を使用(最初期にPMTを活用)

初期の2色セルカウンターのコンセプト

1948年 - 初期のセルカウンター

1951年 - Robert Mellors製作の初期の顕微蛍光スキャナー

R.C. Mellors & R. Silver, A microfluorometric scanner for the differential detection of cells: application to exfoliative cytology, Science 104, 1951

1953年 - 2色セルカウンターの特許が出願

A Device for Counting Small Particles Suspended in a Fluid through a Tube P.J. Crosland-Taylor Bland-Sutton Institute of Pathology Middlesex Hospital, London, W.1. June 17, 1952 Nature 171: 37-38, 1953.

初期のシース流の原理に関する説明図

1953年 - WatsonおよびCrick

ワトソン・クリックDNAモデル

上の写真は、1953年にケンブリッジにてWatsonとCrickが作成した原型の一部。この成果の出発点はAveryがDNAを「形質転換因子」であると特定したことにあり、DNAは単純な分子の繰り返しであるとする従来の考え方を覆す研究につながりました。遺伝的伝達におけるDNAの役割を確認するとともに、1953年のJames WatsonとFrancis Crickの共著論文でその構造が明らかにされました。

 血球計算 - 自動化前

  • 1950年代までは血球計が血球計算の定番でした。
  • 血球計の寸法は3 x 3 x 0.1 mmでした。赤血球の計数は通常1:200希釈液を用いて行われており、全血中に1 x 10^6個/mm3あるとされていました。
  • 白血球(5x10^3個/mm3)は溶血試薬中で1:10に希釈され、色素を用いて細胞核の染色を行っていました
  • 統計的変動は次のように計算されます:
  • 測定対象がn個の場合の計数値の標準偏差はn1/2
  • 手作業で500個を超える細胞の数を測定することはおそらく不可能と思われるため、標準偏差は22
  • 変動係数(CV)は22/500、つまり4.4%
  • ピペット操作および希釈の誤差を加味するとおよそ10%

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